霜小倉4/100
蛸の腕に口似せてみればしめたもの
富士の高嶺も潮ぞ吹きつつ
/山赤彦(藤定)
現代語訳
口の形を蛸の触腕(に付いた吸盤)に似せてみたならば、
しめしめ。
高嶺の花である富士額の美人も潮を吹いて喜んでいるようだ。
解説
シンプルな歌ですね。
蛸の腕に
口似せてみれば
しめたもの
口で吸い付く様を蛸の吸盤にみたてています。
陰核に吸い付いているのでしょう。
「しめたもの」は、「しめしめ」ともとれますが、
ラストに潮ぞ吹きたるとありますね。
これは相手の女性がたいそう気持ちよくなっているということでありましょう。
ですからここの「しめたもの」には、女性が性感をうけて脚で著者の顔をグッとしめつけているといった意味も込められていると読めます。
富士の高嶺も
この「富士」にも、まず二つの意味が込められています。
富士額という当時の美人の条件をみたした、富士山のように仰ぎ見るばかりの高嶺の花であると。そのくらいの良い女であると。
それくらいの女が潮を吹いて喘いでいるのだと。
蛸の腕に口似せてみれば。私の性技をもってすればと。
さて、実はこの歌、山赤人の原作を撰者の藤定がすこし改変したものであります。
山赤人の原作はこうであります。
蛸の腕ゆ
口入れてみれば
真昼にぞ
富士の高嶺も
潮ぞ吹きたる
/山赤彦
現代語訳
蛸の腕という吸い付き技をつかい、さらに舌を入れてやると、
真昼にだぞ。
高嶺の花である富士額の美人も潮を吹いて喜んでいることである。
解説
流れるような性技、その艶かしさからてっきり夜のできごとかと思いきや、
「真昼にだぞ!」カっと力強いお日様があらわれます。
その光に照らされて、富士のように美しく大きな女性が、潮を吹いてキラキラ光っている様が目に浮かびます。
自然の美しさや清さを詠んだ叙景詩を得意とした山赤人、その人の恋。
輝かしい生命のほとばしりを感じさせる銘歌であります。
藤定はこのスケールの大きさは一般向けではないと判断したのでしょうか。
少し寂しく思われます。