かくかくしもじも

ここにはシモネタしかありません。

霜小倉20/100

あびぬれば 今はたおぬしなんとなる みをつくしたも あはむとぞ思ふ
/元気親王

 

 

 

現代語訳

(ことを終えて)湯をあびてしまった今となっては、 「おまえ邪魔だよ、なんなんだよ」となってしまう。
体をなめてくるがいっこうに気持ちよくない。泡屋にいこう。

 

解説

【あびぬれば】

「浴ぶ(あぶ)」という動詞の連用形に完了の助詞「ぬ」の已然形「ぬれ」+ば。

浴びてしまえば、ですね。当時はもちろんシャワーなどはございませんでしたが親王でございますから、ことがすめば湯や水くらいは浴びるわけです。

【今はたおぬし】

「はた」は「また」という意味の副詞で、「今となってはおぬし」という意味になります。

 

【なんとなる】

「なん」は、難、わざわい、難点。欠点、短所、おちど、といった意味ですが、ここでは「なにものだ、なんなんだ」という意味もかかっておりますね。

さっきまで愛し合っていた相手にはやくも「終わったら帰れよ」と言いたい。

 

【みをつくしたも】

身を突く舌も、ですね。舐めてくる。そういった意味と、「身を尽くした」つまりやりきったけれどもという意味の掛詞になっています。

相手はうっとりしていてまだ体をなめてくるが、(ああうっとうしい)

【あはむとぞ思う】

「む」は意思の助動詞です。ここではあは(泡)を動詞化しています。泡屋(昔のソープランドですね)に行くことをこの時代には「あわむ」といっていました。

文脈から、「あわぬ」とくるかと思うところです。

身を尽くした、やりきった、舐められてもうっとうしい、こいつとは相性があわな…あわな…あわ…あわ…泡屋にいこう。

色好みの風流人として知られた元気親王。その好色と絶倫ぶりは蒟蒻物語集などにその逸話が残るほど。そんな親王の鬼畜っぷりがあらわれた素晴らしい歌でございますね。

 

 

さいごにおまけとして当時泡屋に通いつめていたモテない庶民の歌をご紹介して今回はおわかれです。いつの世も不公平なものですね。

 

あわめども あなぐるあまもあらぬ身も あわめあわめば あはざらめやも

訳:ソープに行っても勘ぐってくる女がおらぬ私も、かよいまくれば(いい女に)あわないものだろうか、いや、きっと会うに違いない

読人知ズ