霜小倉17/100
千早(ちはや)ぶる かみよもきかず たつたかや
からくれなゐも 見ずくくるとは
/業腹在平朝臣
現代語訳
神業のように激い勢いで腰をふって果ててしまった。
紙をどうぞと渡しても聞かずに、また勃ったの?(いや、勃ってないのね)
出血していることに目もくれず避妊具の口をくくるなんて。
解説
阿呆だけれども歌は良いし美男であると評された人です。
それでは作品を見てまいりましょう。
まず、「ちはやぶる」は、「かみ」にかかる枕詞です。
意味としては「いち=激い勢いで」「はや=敏捷
に」「ぶる=ふるまう」という言葉を縮めたものです。
「かみよもきかず」
終わったと思って紙を差し出したが、聞いてくれない。
「たつたかや」は「勃ったかや」で、かやというのは反語の終助詞ですね。
勃ったの?(勃つことがあろうか)そんなはずはないわよね。なぜなら、
「からくれなゐも みずくくるとや」
からくれなゐとは、鮮やかな紅色。
処女の出血を「見ずくくるとや」。
とや、という強い問い返しが使われています。
あなたは、私の処女をこんなにあっさり終わらせて、ピロートークもなく括るといのうね!?
処女を奪った男に対しての激しい批判の気持ちが詠われています。
さて、ここでひとつ疑問が生じますよね?
作者の業腹在平は男でありますから、処女が奪われて怒るというのはどういうことか?と。
これはですね、彼の出世の仕方に原因があります。
849年(嘉祥2年)従五位下に叙爵されたのですが、文徳天皇の代になると全く昇進がが止まってしまったんです。そこで、若い頃の調子に乗っていた自分を省みる。自分が若い頃にやりすてた処女の気持ちを痛感したわけです。もっといたわってやればよかった。なんという酷いことをしたのだろうという気持ちが、在平を作中で女にさせたのです。
この反省がよかったのか、後に在平は蔵人頭にまで出世します。
妻は紀有常女であり、紀氏とも交流がありました。
古珍集の撰者である紀貝之が、吐寫日記で自らを女性に仮託して記したのも、在平に影響を受けたのかもしれませんね。