霜小倉13/100
つくだにの 蜷(みな)よりおとる みなの我は
恋のつもりで口でやりぬる
/妖精院
現代語訳
巻貝のつくだによりも価値のない人間たちの我欲が
愛だ恋だといってはフェラチオをあみだした。
解説
10歳で第57代天皇に即位したものの、童貞であることにコンプレックスを抱えていた妖精院。
世を呪い、他人などカワニナやたにしのように下賤なものであるとして暴虐な政治を行っておりました。
今日も独りで食事をとっておりますと、どこからか性交の音が聞こえる。
自分はカワニナの佃煮などを食べているのに。
女の声がしないということは口淫であろう。
自分は、カワニナの佃煮などを食べているのに、だ。
何が愛だ何が恋だ。
子作り以外の性交など嘘っぱちだ。口でするなどさすが下賤なカワニナ。
私がかみつぶして飲み込んでやりましょう。
孤独と、こじらせた童貞の嫉妬心を、厨二的ロマンチシズムに昇華させようとした妖精院。
クチャクチャとねちっこい音が聞こえてきそうな童貞の鬱屈した心が「みな」という同音異義語の繰り返しという幼い技法や、歌の最後に「やりぬる」という連体形を用いて歌いだしの「つくだにの蜷」へ掛ける循環の技法などに感じられます。
作者の妖精院は、のちに乳母であった紀股子(きのまたこ)の子、宮尾益(みやおのすすむ)を殴殺。
17歳で退位をせまられました。
そのことから現代のサブカル系男子女子諸氏に大変な人気であります。