霜小倉10/100
これやこの 往くもなえるもわかで手で
汁もしらぬも負ふさかの責
/瀬見
現代語訳
これがあの、絶頂に達せる人も、勃たない人も
わけへだてなく技を使って奉仕するという大阪の風俗なのだなぁ。
汁を知らないような幼子も理不尽な責務を負わされて働いている。
解説
作者の瀬見は琵琶法師であったといわれています。
これやこの
は「これが噂に聞く、あの」といった意味です。
「や」は詠嘆の間投助詞ですね。
往くもなえるも
「往く」「なえる」ともに連体形ですので「往く人」「なえる(萎えた)人」です。
わかで手で
「分く」の未然形+打消しの接続助詞「で」。わけないで、手で。
汁もしらぬも
汁、精液や愛液です。こちらも連体形で、汁すらもしらない人=幼年の人も、となります。
負ふさかの責
さて、負ふは「背負う」で、うしろのさかの責にかかります。
またこの語は「大坂(今の大阪)」との掛詞でもあります。
「さかの責」とはなんでしょうか。
はじめに、瀬見は琵琶法師であったと書きました。
宗教音楽を奏でる盲人です。
日本の宗教で坂といえばひとつ。
黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)でしょう。
黄泉比良坂で、イザナギを恨んだイザナミが「一日に地上の人間を千人ずつ絞め殺していきます」と言ったというお話があります。
汁を知らない幼いものまでもが、神的に理不尽な責務を背負わされて働いている。
人間社会の不平等さと、それを目の当たりにしてもどうしようもないのだという絶望を歌った、百人一首でも特殊な歌であります。
盲目の瀬見がどのようにしてそれを確認したのか?
おそらく通っていたのでしょう。